
人生の根幹、原点となった
「右文尚武の理想」
61回生 / 昭和61年卒
森山健一Moriyama Kenichi
三菱地所レジデンス株式会社勤務
慶應義塾大学法学部卒
現役時代の生活(思い出)
私が最上級生となったとき、戦力も整わず籠尾先生から『復活元年―土佐高本来の野球に立ち返るため、今年は将来への礎を築く』との話があり、部員不足から実践的な練習はできず、ただひたすら基礎練習を反復する毎日でしたね。「甲子園を目指す」そんな目標ではなく、とにかく「土佐高野球部の伝統を繋げていきたい」との思いで日々の練習に喜び、充実感を見い出しながら努力を続けていたように思います。
今の生活にどう役立っているか
「右文尚武の理想 ひたぶる全力疾走 純白の土佐 とわに輝け」
この籠尾先生の言葉、土佐高野球が自分の人生の根幹、原点となっているように思います。
甲子園の夢は叶いませんでしたが、土佐高校で野球をやって本当によかったと思い感謝しています。
この籠尾先生の言葉、土佐高野球が自分の人生の根幹、原点となっているように思います。
甲子園の夢は叶いませんでしたが、土佐高校で野球をやって本当によかったと思い感謝しています。
土佐高校野球部で良かったこと
寮生活を通じて勉学と野球の両立を目指して全力で取り組んできたからこそ、大学でも野球をやり遂げることができました。私は慶應義塾大学に進み、同期の藤沢君(写真左)は東京大学に進学し神宮球場で対戦できたことも良い思い出です。土佐高野球部での日々の鍛錬があったからこそ共に両大学の主将としてプレーすることができたと思います。
また、大学4年の夏に後輩が劇的な逆転勝ちの連続で14年ぶりの甲子園を勝ち取ってくれました。私の現役時代には「はるか遠くにあった甲子園」が現実となり、自分たちは弱小ながらも一生懸命「土佐高の野球」を繋いできたことが報われたようで喜びと感動で震えが止まらなかったことを覚えています。
また、大学4年の夏に後輩が劇的な逆転勝ちの連続で14年ぶりの甲子園を勝ち取ってくれました。私の現役時代には「はるか遠くにあった甲子園」が現実となり、自分たちは弱小ながらも一生懸命「土佐高の野球」を繋いできたことが報われたようで喜びと感動で震えが止まらなかったことを覚えています。